明治時代、学校は新聞広告でどんな情報を発信していたのでしょうか。
調べているうちに面白い資料を2つ見つけました。ここでは、その内容をメモとして記録します。
当時の学校と社会のつながりが見えてきます。
風間道夫氏の研究論文「明治期における高等教育の発展と新聞広告」では、『時事新報』に掲載された学校広告1,141件が分析されています。
その中で、広告内容として目立つものには、次のような情報がありました。
入学募集だけでなく、学校の活動全体を社会に発信する広報手段として、新聞広告が活用されていたことが分かります。
1890(明治23)年1月、慶應義塾に大学部 文学科が開設されました。
理財科・法律科とともに文学科が創立され、近代的な高等教育機関としての一歩を踏み出しました。
その準備段階である1889(明治22)年には、『時事新報』に生徒募集広告が掲載され、広く社会に向けて募集が行われていたことが分かります。
当時の広告画像は、現在、慶應義塾文学部の公式サイトで公開されています。
学校探しの旅をナレッジステーションから。
明治時代の学校は新聞広告を利用して社会へ情報を発信していました。 時代は変わりましたが、学校が学びの内容や魅力を伝え、進学希望者が情報を集めるという基本は今も変わりません。
ナレッジステーションは1995年のホームページ誕生以来、学校情報の案内を続けています。 もし明治時代にインターネットがあったなら、慶應義塾をはじめ多くの学校が、ここから情報発信していたかもしれません。
2025年の利用者数は約631万人。 この中からどれだけの人が学校を見つけ、進路を決めていったのかと思うと、少しワクワクします。